梅雨の夜長、なにか映画でも見ようかとAmazonプライムビデオを検索。
リモコンを片手に、「呪術廻戦」を見てみようとふと思い、一年前に見た「鬼滅の刃」と同じく、連日モードで一気に見てしまいました。
(「鬼滅の刃」は映画も観ました!)
いろいろなアニメがある中で
メッセージ性のある漫画やアニメはたくさんありますが、すべてを見たいと思うわけでもなく、しっくりときてその世界に入り込めるわけではありません。
以前、夫が見ていた「進撃の巨人」をたまに一緒に見ていたことがあるのですが、「すごい世界の描写だな」という風には感じたものの、あまり引き込まれるという感覚はなかったんですよね。
「鬼滅の刃」と「呪術廻戦」は、舞台は日本というのもあってか、今の世界や社会情勢が反映されている感じが、私にとってより感覚的に受け取りやすいものがあったのかもしれません。
(因みに、どちらも難しい漢字の名前や言葉が多いという共通点も...笑)
「日本一慈しい鬼退治」と「正しい死」
「鬼滅の刃」のキャッチコピー「日本一慈しい鬼退治」と「呪術廻戦」のイントロダクションのキーワード「正しい死」。
「日本一慈しい鬼退治」(鬼滅の刃)
時代背景は、明治と昭和の狭間である大正時代。
鬼になってしまった妹 禰豆子を人間に戻す方法を探すべく、鬼退治をする主人公 炭治郎。
炭治郎は、「鬼も自分と同じ人間だった」と認識しながらも鬼の首を切っていきます。
そして、退治した鬼に対して慈しむ。
炭治郎に切られた鬼は、自分が人間だったときを思い出し、消えていきます。
グロテスクなシーンも多いですが、小学生くらいの女の子も「鬼滅の刃」のキャラクターのキーホルダーや缶バッジをカバンに付けたりしているのを見ると、こういった単純な悪者退治でない部分や親近感を持ちやすく感情移入しやすいキャラクターが人気の理由ではないかと。
世界の仕組みや神秘学的な要素も含んだ奥深いアニメでもありますが、キャラクターへの親近感や感情移入しやすいというのが引き込まれる大きなポイントといえるのではないでしょうか。
私の中での炭治郎と禰豆子のイメージ↓
「正しい死」(呪術廻戦)
「正しい生き方」という言葉はよく聞きますが、「呪術廻戦」の主人公 虎杖悠仁は、特級ランクの呪いを自らに宿しながらも「正しい死」を求めて呪術師となります。
少年は戦う―「正しい死」を求めて
辛酸・後悔・恥辱
人間が生む負の感情は呪いと化し日常に潜む
呪いは世に蔓延る禍源であり、最悪の場合、人間を死へと導くそして、呪いは呪いでしか祓えない
時代設定は現代。
呪術師だから、なにか特殊な方法で連絡を取り合えるのかと思いきや、普通にスマホで連絡を取り合うシーンがちょこちょこ出てきたりするのですが、この描写で
というのを、私的には、よりリアルに感じてしまいした。
そんな中、「正しい死」を考えたとき、やはり、自分ではないの何ものかの影響を受けたり、乗っ取られた状態ではなく「自身の魂での最後を迎える」ということなのかなと、私は解釈しています。
「鬼滅の刃」の鬼が、最後に「人間の心を取り戻して消えていく」ところとも、つながるなと思ったり。
そして、人間の負の感情から生まれた「呪霊」である真人の
- 「喜怒哀楽は魂の代謝」
- 「人は目に見えないものを特別に考えすぎる」
- 「天地にとって水のように、命もただめぐるだけ」
といったセリフがあるのですが、
俯瞰的で的を得ているなぁと印象的でした。
まとめ
「鬼滅の刃」「呪術廻戦」のどちらも原作の漫画はまだ読んでいないのですが、1クールのアニメの世界観だけでも充分な多大なメッセージ性を私的には感じられました。
- 「慈悲深き鬼殺隊員」である炭治郎が鬼の首を切り、慈しみ弔う。
- 「ネアカな呪術師」の虎杖悠仁が負の感情をエネルギーに変換して呪いを払う。
あらためて生き方や死生観を考えさせられます。
どちらも原作の漫画は終了しているようですが、アニメの続編はあるとうことで、まだしばらく混沌としそうな今の時代に生きる私たちにメッセージを送ってくれそうですね。