コロナ禍での自粛生活...。
日本でも、「今までの生活は何だったんだ?」といった感じで幸福を感じる人がいる中、中国では「寝そべりの達人」というスローライフを求める若者が増えているようです。
自粛生活に「幸福を感じた人」
仕事中心の生活から、時間的な余裕が生まれて生活の質が向上し、「心のゆとり」ができたことに喜びを見出している人が多いようです。
通勤からの解放
- 週休3になり、満員電車での通勤から解放されて心にゆとりができた。
- 在宅勤務となり、通勤する意味が見いだせなくなった。黙々と家で作業だけしていたい。
- 仕事ジャンキーだったのが暇になり、人生が楽しくなった。
- 満員電車をさけるため1時間早く通勤していたのが、在宅勤務になったおかげで睡眠時間が2時間増えた。
もちろん、通勤のストレスから解放されたケースと言うのはリモートワークができる職種の人になるわけですが、「通勤」するというのがいかにストレスかというのは、会社勤めの頃を思い出すとものすごくよくわかります...。
仕事の重圧からの解放
- 仕事の激減で、「ホントは、必死で仕事したくなかった。」ということに気づいた。
- うつにより仕事を退職して再就職が困難になり、不安は増したが、引きこもりを求められる今の状況に気持ちが救われている。
- 無職であることの焦りがなくなった。
- うつによるリハビリ休職中の中、復職時期を悩んでいたが、外出自粛が望ましいとされてから気が楽になった。
健康的になった
- 掃除や洗濯がはかどることで家がキレイになり、自炊が増えて、良質な睡眠もとれるようになり健康的な生活を送っている。
- 早寝早起き、3食自炊、シャワーだけだったのがお湯を張ってゆっくり浸かるようになり、健康的な生活に。
- 散歩やオンラインのヨガなどで、カラダがしっかりしてきた。夜更かししなくなった。
「時間」が出来たことで、健康的な生活を送るようになった人も増えているようです。
睡眠の質が変わった人も多いようですね。
あと、仕事が無くなってからの方が飲酒量が減ったり、ゲームをしなくなったという方もいて、ストレスの反動だったということに気づいたパターンもあるようです。
本業での収入が激減したため副業を始めたら、本業よりも収入が増えたという方も。
もちろん、過酷な状況下に置かれている方もたくさんおられる訳ですが、生き方・働き方の意識が少しずつシフトしている流れにはなってきているようです。
■参考記事:東洋経済オンライン 自粛生活に「幸福を感じた人」が口々に語る理由
中国「寝そべりの達人」
何もしないことを楽しむ「寝そべりの達人」。
「寝そべり」は、中国で流行語にもなっているそうです。
雑用仕事をこなしながらなら、貯金から毎月60ドル(約6600円)を引き出すだけでやっていける――。駱さんは、この新たなライフスタイルを「寝そべり」と呼んだ。
繫栄を拒み、寝そべる
必死に働き、結婚して家を買い、子どもを持つ。
そんな日本の高度経済成長期と同じ生き方に、中国では多くの若者が不安を抱いているようです。
労働時間が長くなり、住宅価格は高騰するという現状のなか、自分たちは親世代よりも悪い暮らしを送るであろう不安。
これほどまでに、世界中にものやサービスがあふれている状況の中、親世代と同じ概念はもはや通用しなくなってきています。
そんな中、若者が求めだした生き方が「寝そべり」。
「寝そべり」は、結婚せず、子どもも持たず、定職に就かず、家や車といった物欲を手放すことを意味する。
あまりにも対極的な生き方ですが、親に敷かれたレールの上で生きてきて、それが自分としてホントはものすごく嫌だった場合、対極に向かわざる得なかったのかなという気もします。
ある意味、自分を取り戻す生き方なのかもしれません。
もちろん、中国当局が国民に望む生き方とは真逆なので、社会の安定を揺るがしかねないとして、インターネット上では「寝そべり」という言葉の言及は厳しく規制されているようです。
スローなライフスタイルを選ぶ権利
中国の国営メディアは、「寝そべりは恥」と呼び、新聞社は「豊かになる前に寝そべる」という行為を批判。
それに対して、「寝そべり」ブームを引き起こした駱さんは言います。
「『寝そべりは恥』と言う人間こそ恥知らずだ。僕にはスローなライフスタイルを選ぶ権利がある。社会に対して有害なことは何もしていない。僕らはブラックな職場で1日に12時間も働かなければいけないのか。それが正義なのか」(駱さん)
今は、家族と同居して哲学書を読んだりニュースを見たり、運動して毎日を過ごす駱さん。
「ミニマルに暮らし、自由に考え、行動する。」理想のライフスタイルなのだそうです。
■参考記事:東洋経済オンライン 中国「寝そべりの達人」が手に入れた理想の生活
「お金」より「時間」
今までと同じ生き方を貫く人、今までの対極の生き方を求める人、どちらも人の自由です。
一年以上続くこのコロナ禍は、対極的な生き方に意識が向かうきっかけにもなっているようです。
まさに、自分らしい生き方に向かう過渡期おいて、「お金」よりも「時間」に重要性がシフトしてきているのかもしれませんね。